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【TRPG】 天下繚乱 シナリオフック / もういくつ寝てもお正月にならない

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今月上旬にマスターを務めた、天下繚乱のシナリオをシナリオフック形式で書き起こしてみました。

形式は、天下繚乱サプリメント『快刀乱麻』の「日本各地の伝承」になぞった形です。シナリオに落とし込む手順は本書に倣います。

お正月気分でプレイしたおちゃらけセッションですし、年末年始を舞台にした内容なのでまったく参考にはならないと思いますが、こんないい加減な妄言でも天下繚乱ならシナリオとして成立してしまうのだ、という一例としてご覧いただければ幸いです。

 


 

『もういくつ寝てもお正月にならない』

 

物語は大晦日の夜、上野寛永寺から始まる。

英傑たちは各々、除夜の鐘を眺めつつ、新年を迎えようとしていた。

ところが、除夜の鐘が107回撞き終わり、いよいよ最後の一回とともに新年を迎えるところで、突然、周囲の人々の動きが止まり、除夜の鐘の撞木(しゅもく)も鐘の寸前で止まった。

時が、止まった…?

そんな時、英傑たちの前に、南光坊天海が現れる(上野寛永寺の開山は天海)。

彼曰く、除夜の鐘によって払われるはずである、「煩悩」が妖異の力を経たことで開放されず、除夜の鐘の周辺の時を止めているらしい。

上野寛永寺が、梵鐘を108回撞くことで煩悩が払われ、年が明ける。

それが撞けないということは、すなわち、年が明けないということ!

英傑たちは天海から依頼を受け、年明けを阻んでいる煩悩を振り払うことになる。

 


 

上野寛永寺から出ると、外はなぜか大晦日の昼に戻っており、江戸市中には、煩悩の力によってうまく執り行えなくなってしまった、年末の恒例行事が多数存在している。英傑たちはそれらの行事をひとつひとつこなしていくことで、煩悩を振り払っていく。

煩悩は、六種類の感覚器、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意をあらわす)について、それぞれ三通りの理解の仕方、三平道(好、平、悪をあらわす)、および、ふたつの理解の程度(染、浄)、それらが、三世(過去、現在、未来)にわたって人を悩ますといわれているもの。つまり、煩悩の数は、6(六根)×3(三平道)×2(染浄)×3(三世)=108とされている。

すなわち、六根にまつわる以下の出来事を解決する必要がある。

(データ的には、それぞれの能力値判定による解決を想定している)

  1. 神田明神近くの蕎麦屋で年越しそば:舌(【体力】)
  2. 掛け取りからの逃亡劇:眼(【反射】)
  3. 人形町の芝居小屋で歌合戦:耳(【知覚】)
  4. 湯島天神の門松:鼻(【理知】)
  5. 台場のエレキテル遊具「なまはげ」:身(【意思】)
  6. 谷中感応寺の富くじ:意(【幸運】)

1. 年越しそばを作りすぎてしまった蕎麦屋のそばをすべて食べつくすことで、健やかに新年を迎える。

2. 大晦日の総決算。借金の掛け取り(取立て)から逃れることで、無事に新年を迎える。

3. 大晦日の一大行事。芝居小屋で見事な歌を披露し喝采を受けることで、気持ちよく新年を迎える。

4. 門松を大晦日に供えてしまい、神(菅原道真)の怒りを買ってしまった。境内の中で一番の梅を納め、怒りを静めることで、何とか新年を迎える(門松を大晦日に供えることは「一日飾り」として神をおろそかにするということから避けるべきこととされている)。

5. 台場に築かれたエレキテル遊具「なまはげ」に搭乗し、三次元で襲い掛かってくるなまはげの恐怖に耐えきることで、強い気持ちで新年を迎える。

6. 富くじとは現代でいう宝くじのこと。「年末巨大富くじ」に見事当選することで、希望に満ちた思いで新年を迎える。

 


 

年末の恒例行事をこなしてきた英傑たちは、最後に上野寛永寺にて除夜の鐘を破壊せんとする、「としのせ」と対決する。

年を越せるかどうかは、江戸庶民にとっては重大事であり、「年の瀬」という言葉は、その大変さを「瀬」にたとえたもの。渡りきれなければ、死、あるのみ!

英傑たちが無事に「としのせ」を討ち果たし、新年を迎えることで、物語は一件落着となる。